花冷えの聖橋、おちあって、閑散とした土曜日の淡路坂をくだる。
新年度幹事打ち合わせの窓辺は、おりしも、上げ潮に遡上する花筏の神田川、打ち合わせを了えた夕刻のわかれに、遠い学生時代がかさなる。
様変わりしてしまった街路もあれば、まったく変わっていない街路もあって、神田川の、この辺り、一種独特なおもむきがある。
かって、学生達が占拠した街は、すっかり影をひそめ、その面影をさがすことも難しく、わずかに残る神田川も、いま、工事の真っただ中、昌平橋から外堀通りを聖橋にむけてあがる一画に、ビリヤードの看板がある。
まだ、ハスラーまがいの存在していた時代、狭い階段をきしませながら上る表現し難い快感、そんな時代を彷彿とさせる古色蒼然とした佇まい。
往時、ビリヤードは、四つ玉と称した キャロムだけで、ビリヤードすなわち四つ玉だったような気がする。白い手玉を見据えながら、キューにチョークをこすりつけつつ、あらゆる角度を計算する。一点の撞点を決め、肩から力をぬいて、柔らかく握ったキューを直線的にくりだす。
ハスラーに似せて、だれもが黙していた。そうして、球のつきあたる音のみの部屋は、いつも、静かに刻がながれ、窓から見下ろす神田川は、どんよりと薄汚れ、この季節、花筏も無く、まるで、ハスラーの疲れた影をうつすかのように流れていた。