この春以降、コロナにふりまわされ、なんとはなく、騒然とした日々が続いている。
もしかすると、すべての価値体系が変容するのではと、そうした危惧を抱くことがある。
そうした日々だからこそ、この春は、ひたすら、路傍の草花に戯れ、その自然のおりなす微妙な調和に、心なごませることが多かった。
おりしも、路傍のいずこにも花を咲かせるスミレ、打設されたコンクリート擁壁の僅かな隙間から花を開いた株があった。
なにゆえに、その垂直の隙間にスミレの株が存在するのか…しげしげと観察を続けていると、あるとき偶然に、弾けた実を運ぶ蟻を見つけた。スミレは実を弾いて種を残すだけでなく、蟻によって、コンクリート擁壁の陽当たりのよい高い位置の隙間に、その実を運ばせて種を残しているらしい。
そして、春の花の終わり、スミレは、また、新しい蕾を伸ばす。その蕾は、花を咲かすことなく、すなわち、外的障碍を受けることなく、ある日、唐突に結実して実を弾きだし、さらに、その下に、また次ぎの蕾を伸ばしだす。
路傍のスミレ、そのしたたかな種の維持、それはたぶん、自然のそれぞれ の生命体が必然的に備えているもののように感じる。
自然の備えるしたたかさ…ひと もまた、その自然の持つしたたかな生存戦略を真摯に検討すべきときにあるように思う。