コロナの蔓延以来、あらゆる面で、肌感覚で他人と接する機会が激減した。ひと 独りで生きているようで、独りで精神を維持することは、とても難しい存在のように感じる。社会との連なりのうちに、自分を位置づけることで、その生存を十全に維持しているのが実情なのかもしれない。
ベランダに夏の風物詩、ナデシコが満開になった。ゴーヤも収穫の季節、日々、眼を楽しませ、食を楽しませてくれているものの、何かが欠けているような気がする。
コロナの時代、満たしつく ひと の連なりの何かの機能が十全でないのかもしれない。