板倉勝宣を知ったのは高校生時代…あこがれのピッケルを手に、雪渓にシュプールを描くようにグリセードを習いはじめたころだった。
爾来、雪山は究極の、そして、もっとも親しみやすい逃避行のひとつになっていった。
往時、お金も無かったので、冬山のその、殆どが西黒尾根の単独行だった。僅か100mの登りに一日のラッセルを要することも多かった。雪洞を掘って、長い夜を過ごす。それは、とても、静かで満ち足りた時間だったように思う。
?板倉のように、人間の極限に挑戦したことは無かった。体力尽き、時間切れで、厳冬での登頂は一度も無かったけれど、春の寒の戻りに、遭難必死の瀬戸際には何度か追い込まれたことがある。
?いつも、山には魔物が潜んでいる。のんびりと出かけたはずの春を兆した山が、いっぺんにして吹雪模様の冬山に戻ってしまった。
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