写真を考察した際に、写真を、どのように定義づけるのか、それは、まさに、百人百様と、際限の無い議論になる。
そもそも、写真が、表現手段たりえるのか、と云った素朴な疑問にはじまって、表現手段として許される範囲やら、どのようなスケールで評価すべきなのか、いかに議論をかさねても、お互いに納得のできる結論にいたらないことに気づかされる。
昨日、墨田の花火にお呼ばれして、カメラを背負ってでかけたものの、あえにくの雨模様に、小料理屋で、深夜まで呑み続けた。花火は観るものではなく、お祭りなんだなぁ~って、しみじみと思う。
私にとっての、写真の、ある面は、これと相似たところに位置づけられている。それは、きわめて感傷的で、非創作的で、誰からも評価されえない範疇ではあるけれど、それでも、あえて、自分の存在そのもののために、そこに執着しなければならないと思う心象に依拠している。
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