この年齢になって気づくのは父の存在の大きさである。
あらゆる意味で、父を越えるものの、何一つとして存在していないことに気づかされる。
知的な意味でも、人格的な意味でも、けっきょくは、なにひとつ父を越え得たものの存在していないことを痛感させられる。
きょう、地元の方に案内されて、ことしの稲作を見てまわっている際に、稲株のあいま、オモダカの白い花があった。なぜか、父は、除草しながらも、このオモダカだけは残すように気配りをしていた。
父にとって、オモダカは、稲作に害の無い雑草として認識されていたらしく、その葉形と清楚な花を、こよなく愛でていたようにも思う。
父の愛でた雑草…オモダカ…郷里を離れて、初めての出会いである。
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