鳥のように自由にありたい…Free as a bird

桑原特許事務所 - 鳥のように自由にありたい…Free as a bird

神々のうちに :KUWAHARA

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穏やかな日溜まりの多摩の丘をくだる。

いっせいに鳴き出したウグイスは、まだ、音色がふぞろいで、春の浅いことをしらせる。
やがて、階調が整え声量に満ちた囀りをする一匹のウグイスによって、この斜面の一画が占拠され、繁殖のときを迎える。

そうして、より良い種の遺伝子を残そうとする自然の摂理のうちに、しばし、競いあうウグイスの囀りは続く。
ウグイスの必死にせめぎあう囀りを、早春の風雅と詠みならわして、「ひと」 は自らの宿業に眼を閉じる。

「ひと」をのぞいて、すべての自然界にあるものは、自然の摂理のうちに調和している。
それぞれに、遺伝子を残すべく、最善をつくしながらも、けっして、それ以上でも、それ以下でもなく、つねに自然の調和のうちにある。

なぜ、「ひと」だけが、異端児になってしまったのだろう。
なぜ、自然の調和のうちから、「ひと」は、生まれえたのだろう。
そして、「ひと」は、どこに向かってゆくのだろう。

そもそも、核反応は、神々の領域にあった。
神々の領域に存在するものは、結界のうちにある「禁忌」のものであったはずである。
膨大な核物質を抱え込みつつ、「ひと」は、いまなお、神々の領域を犯している不遜さに気づかないのだろうか。

そして、今朝も、食卓に遺伝子組み換えの食材がならぶ。
神々の手を経ない食材が、なんの疑問もなく食卓にならべられる。

「ひと」は、いつから、神の手を得たのだろう。

神々の領域が絶対的な調和とするならば、自然界のうちにある「ひと」は、神々の領域を犯すようなことがあってはならない。そして、神々のくだされた審判に、もっと、敬虔であらねばならない。?

アトランティスは、いまも、海底深く、静かに眠っているのだろう。