なんとか、山のぼりを再開しよう。
秋のおわり、その緒に、そこで、二度目は、遭難した友人に、そのむねを伝える山のぼりにする。
早朝6時、土合橋は寒い風にあおられ、まだ、暗闇の谷底に沈んで、ほぼ、50年近い時間を調整しているかのように感じられた。
ひっそりとあった慰霊碑は、いつのまにか、おおきな広場に、そうして、谷川岳の観光の一部にでもなってしまったかのように佇んで、鎮魂の魂を喪ってしまったかのように感じられるのだが、秋風のなせるワザなのかもしれない。
あれは、文化の日の連休にマチガ沢を案内する約束をしていたのだが、今日と同じ10月最後の週末を、南面の二股のテントに沈澱、連チャンでの谷川行に難があったことと、マチガ沢は、コース的に難所が無いこともあって、要所をリーダーに説明、私は東京に残った。
ところが、週あけ早々に呼び出しがあって、マチガ沢組が帰宅していない、谷川岳は大雪、即、土合山の家に、群馬県警のヘリコプターからの情報を参考に捜索方針が検討された。
あの10月最後の週末も、今日と同じ、全山紅葉の晴天だった。不思議な縁を感じながら、この齢にして、また、山にのぼれる。その幸せを、気のすむまで、亡き友人に語りかける。
週末、谷川岳は、遠く富士山が、すっきりと望見できる穏やかな秋日和、かっては、登攀に夢中で、気がつかなかったのだが、山たびでは、ゆったりと一歩、一歩が新鮮みをおび、あらたな、山たびのありようを教えてくれる。