田植えもおわり、緑におおわれる夕暮れどき、どこからともなく、クイナの鳴く音がつたわってくる。それは、なぜか、哀愁に満ちて、晩春から初夏の到来を予感させるなにかをもっていた。
いにしえ、クイナは、日々の生活のうちに全ての人々と共存していた。少なくとも、農薬散布が日常化する前、農民が自然と共存していた時代、初夏の夕暮れどきの、いち日の安堵を人々にもたらしたいた。
たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深く尋ねては来む 更級日記
一昨日、ひさかたぶりに、武蔵野の湖沼にクイナ科の小鳥をみかけた。似た習性、だけれども、緋クイナの繊細さ、独特の哀愁には、ほど遠そうで、それに、ひとまわりも、ふたまわりも、おおきく、行動も大胆そうである。
それでも、葦のうちに密かに営巣し、葦の草の原に育雛する様相は、なぜか、クイナを彷彿とさせてくれる。春の風にさそわれて、夕暮れの、ひと時を、のどかに歩く、背戸をたたかぬバンにつきあってみた。